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花の枝にもちりとてちん 〜三味線ブログ〜

三味線の師匠がイラストを描いたり三味線について語ったり様々な趣味に走っているブログです

三味線を習い始めた時、私は14歳でした。

雑記 雑記-コラム

こんにちは、花枝です。

三味線は高齢の方がされているイメージが強いですが、私が三味線を始めたのは14歳の時でした。

「14歳」と聞くと、楳図かずお先生の「14歳」が真っ先に思い浮かびますが、今回は14歳で三味線を始めた私の過去を少し振り返ります。

 

「何年やっているの?」の質問に対しての答え「人生の半分ぐらい」

三味線をやっていると、よく受ける質問ベスト5ぐらいに入る質問で

「何年ほど三味線をされているんですか?」

というものがあります。

 

これに対しては

「だいたい人生の半分ぐらいやっています。」

と答えていますが、振り返ると私が三味線を始めたのは14歳の時だったので、本当にちょうど人生の半分ぐらいになります。

 

まあだいたいのことは10年以上続けると、一廉のものになります。

 

 

最初の入り口は日本舞踊と茶道

私が三味線を始めたのは14歳、中学2年生の頃でしたので、まさに「中二」と呼ばれる思春期まっただ中の「色々勘違い年代」でした。

 

もともと入り口になったのは5歳の時に入門した、日本舞踊と茶道です。

そんなこともあって、遅かれ早かれ三味線には辿り着く運命だったのかもしれません。

 

三味線はたまたま母がカルチャースクールで三味線講座を始めたのがきっかけで、私も始めることになりました。

 

ここでよく

「小さい頃から(そんなに小さくもないが)三味線や日本舞踊習っているなんて、そういう(いわゆる両親が伝統芸能関係に従事している)家庭の人だったの?」

 と聞かれたりもしますが、我が家は伝統芸能とは全く無縁の一般家庭でした。

 

 

英会話よりもNIPPONの習い事を優先させた母

この頃、私学の幼稚園だとお遊戯の中で英語の歌を歌うようになったり、幼稚園からの英会話スクールが流行りだした頃だったそうです。

まあ、日本の英語熱なんて私はもう「病気」のようなものだと思っていて、未だに謎の英語熱のようなものは一部の日本人を熱狂させたり、反面苦しめたりしています。そんなのを見たり聞いたりするのも、もうウンザリなんですが。

 

…それはさておき、私の両親は英会話には全く関心がなかったようで

「女の子だから、国際的な子になればイイよね。

英語はよく分かんないから、日本舞踊と茶道やらせようよ。」

 

と、あっという間に私の習い事は決まってしまいました。

(バレエも見学に行ったそうですが、全く周囲との協調性が見られないということで「お断り」されました。)

 

 

三味線もすんなり手に入ったし、お稽古するか

日本舞踊の素地があったからか、三味線は割とすんなり習い始めることができました。

三味線は自分のものが欲しかったので、すぐに無料の新聞広告で「三味線譲ってください。」と出すと、親切な方が譲ってくださいました。

 

当時中学二年生、三味線を始めたところで別に学校生活にはなんの影響も出ませんでした。もともと部活も、「先輩後輩関係」という謎のシステムが気に入らなかったし、馴染めなくて入っていませんでした。そこの垣根を飛び越えてでも入りたい部活なんて、この田舎の中学校には何もなかったです。

 

先生の指導は最初から割と厳しく、母の通っていたカルチャースクールの内容とは全く違った内容でした。

 

その内容については、また次回書きたいと思います。

 

★次回更新しました

www.hanae-chiritote.com