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花の枝にもちりとてちん 〜三味線ブログ〜

三味線の師匠がイラストを描いたり三味線について語ったり様々な趣味に走っているブログです

日本の伝統楽器なのに”From明”な三味線

三味線 三味線-歴史

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「三味線はどこの楽器?」

と聞かれて、多分大抵の人は

「いや、そりゃ日本の伝統楽器でしょ?」

と思うし、答えられると思います。

 

ですが、三味線のルーツを辿ると、明の時代の中国大陸からやってきたところから三味線の歴史が始まります。

今回は三味線のルーツのお話。

 

三味線の原型は明の時代の楽器「三弦」

三味線は日本の伝統楽器ですが、その原型となる楽器は実は中国(明王朝)からやって来ました。当時、明王朝には三絃(サンシェン)という楽器がありました。

 

私も現物を見たことがないので何とも言えませんが、沖縄の三線の棹(ネック部分)が長く伸びたような形をしていたようです。

三味線と比べて三線は棹が短く作られていますので、三味線の棹の長さを持ち、胴部分は三線のように小さい…という形をしていたと思います。

 

 

三弦はまず琉球王朝へ、そして大阪へ渡る

三弦は貿易によって沖縄(当時の琉球王朝)に渡ります。

その時に棹部分をさらに短く改良されたのでしょう。棹が短いと持ち運びに便利ですからね。

三絃が沖縄の風土に合わせ改良されたものは、現在でもおなじみの「三線」となっていきます。

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その三線は更に貿易によって、当時最も貿易港として栄えた堺(大阪)へ渡ることになります。一説では九州にも渡ったと言われています。1562年ごろと言われていますので、時代は室町時代末期です。歴史上の出来事では「桶狭間の戦い」の少し後ということになりますね。

 

 

三線の形から三味線の形へ

三線に改良を加えたのが琵琶法師でした。日本で三線を作るとなった時、唯一の問題はその特徴的な胴部分の「皮」にあったのです。

 

三線のアイコンにもなっているほど有名な話で、三線の皮は蛇の皮(ニシキヘビを多用していたそうです)で作られています。どうしてか「蛇皮線」という名称も非常に有名なのですが、これは沖縄では使わないそうですので、三線で統一します。

 

温帯である日本本土では大柄な蛇は生息できず、蛇の皮は面積が足りない。三線を日本で作ることは不可能であったと言われています。

 

和太鼓のように牛の皮では厚すぎる、丁度良い厚さのものはないか?…と、その時に考案されたアイデアが犬や猫の皮を張る。

また演奏方法も琵琶の演奏技法を取り入れ、撥を使って弾くように変化していきました。それに合わせ名称も「三味線」に変化し、瞬く間に全国的に広がりを見せていきました。

だいたいこの改良に30年ほどの年月を要したそうです。

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三弦、三線、三味線はルーツは一緒だけど全く違う楽器

三味線が今の形になるまでに、当時様々な試行錯誤があったのですね。

ちなみに三線と三味線はルーツは一緒なので、姿は非常に似通っています。が…出来上がった文化土壌が全く違いますので、私の中では「三線と三味線は違う楽器だ」という認識です。

 

これについてはまた別記事で。